重力波を読み解く力が、明日の社会を変える
夜空を見上げると星が儚げに瞬いて見えるが、広大な宇宙の深層では、星同士やブラックホールの衝突、星の爆発といった壮大な現象が起きている。こうした現象によって生じる時空の歪みは、「重力波」となってごくわずかに地球にも届き、観測データにその痕跡を残す。こうした情報を的確に読み解くには、膨大なノイズの中から有用な信号を見分ける、洗練された解析技術が不可欠だ。このデータ解析の技術は、宇宙にとどまらず、交通安全、医療、教育、都市計画など、現代社会の幅広い課題にも応用できるポテンシャルを秘めている。データ解析の研究を推進し、多様な領域の問題解決に挑むのが、デザイン・データ科学部、総合研究所の髙橋弘毅教授である。
髙橋教授の研究室が扱う研究テーマは物理学や数理科学、情報通信技術を基盤とした「ビッグデータ解析」と「オペレーションズ・リサーチ」の大きく二つに分けられる。ビッグデータ解析研究の一つが、重力波データ解析の研究だ。重力波は星同士の衝突や爆発など一瞬の出来事によって生じ、いつ地球に届くかわからない。そのため常に観測を続け、データを取得し続ける必要がある。日本の重力波観測拠点、大型低温重力波望遠鏡「KAGRA(かぐら)」では、日々膨大なデータを取得している。星の動きによって生まれる重力波と聞くと、非常に大きな波をイメージしてしまうが、ほとんどは10のマイナス21乗の程度の振幅という非常に微弱なもの。髙橋教授は人工知能(AI)や最新の信号処理技術を用いて、より効率的かつ確実にデータを見つけ出す研究を進めている。「取得したデータは大量かつ、ノイズを非常に多く含んでいます。そこから重力波の情報を見つけ出すのは至難の業。新たな物理学や天文学を実現するためにも、新しい視点で独創的なデータ解析法を開発し続けることは、極めて重要です。AIを使った解析は、もうすぐ実用化できるレベルまで研究が進んでいます。」

ほかにも、安全運転支援に関する研究も進行中だ。ドライバーの手首に小型のデバイスを着け、運転時のデータを取得し解析する。その結果、意識が散漫な状態で運転すると、細かなハンドル操作が多くなることがわかってきた。今後、この兆候を即座に捉えドライバーに注意を促すシステムの実現や、各個人の運転特性を解析し、それに合わせた安全運転に関する各施策が期待できる。スマートウォッチのような小型のデバイスを用いれば、安価なシステム構築が可能になると髙橋教授は説明する。「水泳選手の泳法に関するデータ解析でも、同様に小型のデバイスを用いています。睡眠時無呼吸症候群の共同研究も進行中です。従来の検査では大型の検査機器を用いて数日の入院が必要ですが、スマートフォンのアプリなどを用いることで、自宅でも簡単に検査できるようにすることが目標です。」
意思決定の方法論を追求するオペレーションズ・リサーチの研究では、自治体の避難行動の計画策定や、公共施設の効果的な配置、鉄道の時刻表作成などさまざまなテーマを扱っている。学校の授業で使用するタブレット端末によって得られる学習や行動記録を、AIを用いて解析することにより、現場の先生方の指導に役立てる研究も進めている。COVID-19の流行時には、コンピュータの中に人工的な社会をつくり人の生活を再現し、ウイルスがどのように伝播していくか予測を行うシミュレーションも行った。
「いずれも熟練者の勘と経験という、目に見えないものに頼って行われてきた意思決定を、非熟練者やコンピュータ上でも行えるようにするために、システムのモデル化や、解析手法の開発を行っているものです。」
重力波、安全運転、睡眠、スポーツ支援…。それぞれの研究は何の関係もないように感じる。率直に尋ねると、データを介して全てつながっているという。「重力波の研究で得られたデータ解析の知見・技術は、さまざまな分野に応用できるのではないかと考えています。物事を科学的な幅広い視点でみる、それが重要なのです。」

髙橋教授の研究室で扱うテーマは幅広いが、やはり原点は宇宙への興味だ。父親の影響もあって、高校生までは野球一筋。しかし進学した高校は強豪校だった故、ライバルも多く、野球の道を諦め勉学に励むようになる。「当時は化学が好きだったので薬学部に進むことを考えていたのですが、予備校の物理の先生が授業後によく宇宙に関する話をしてくれた。まだ明らかになっていない現象が多くあるというところに惹かれ、宇宙物理学を志すようになりました。」

あまりにも微弱な現象のため、観測することは不可能だろうとされていた重力波だったが、2015年に米国の重力波観測プロジェクト「LIGO(ライゴ)」が初観測に成功する。2年後にはその中心的役割を果たした3名がノーベル賞を受賞。重力波の観測というのは、それだけインパクトがあることだった。ここから世界各国の天文台や望遠鏡といった観測拠点が協力し、天体現象を総合的に解明する、マルチメッセンジャー天文学が一気に脚光をあびる。「初観測を逃したのは正直悔しいですが、今は世界各国が協力しあって天体現象を観測しています。日本のKAGRAを用いた重力波観測をまずは実現させて、天文学の進展のためにもより一層研究を進めたいですね。」
デジタル人材の不足が叫ばれる中、若い世代に期待することを聞いた。「AIの研究を進めると、AIが導き出すものは“解答”ではなく「回答」であって、あくまで提案してくれる一つの参考意見であることがわかります。決断をするのはAIではなく「皆さん自身」ということです。つまりAIの回答や提案をうまく使いこなせるかどうかは、皆さん自身であると思います。もう一つは、視野をとにかく広く持つことが重要!全然関係のない分野同士の話題が、ある時ふと繋がる時があります。学生や社会人といった立場に関係なく、また、私には関係ないではなく、幅広い内容に興味を持ち学び続けることが大切なのではないでしょうか。」
1916年にアインシュタインが一般相対性理論で重力波の存在を説いてから約100年。人類の叡智によって、これまで不可能と言われていた観測が可能になり、その存在を証明することができた。髙橋教授が研究を進める、宇宙からやってくる膨大なデータを解析する方法は、我々の日常生活にも役立てることができる。数億光年前、広大な宇宙の彼方で起きた現象は、明日の私たちを変える現象なのかもしれない。
デザイン・データ科学部、大学院総合理工学研究科情報専攻教授、総合研究所宇宙科学研究センター センター長。2005年、新潟大学大学院 自然科学研究科エネルギー基礎科学専攻 博士後期課程修了、博士号(理学)取得。長岡技術科学大学准教授等を経て、2020年9月に東京都市大学に着任、2023年より現職。