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情報・通信
2026/09/03

進化計算が生み出す、まだ聴いたことのない一曲

メディア情報学部大谷 紀子
  • 進化計算アルゴリズム
  • 帰納学習
  • 人工知能
  • 機械学習

誰にでも、好きな曲がある。気持ちを落ち着かせたい時、元気になりたい時、集中したい時。音楽は、その時々の感情に寄り添い、私たちの気持ちを動かしてくれる。一方で、どれほど好きな曲でも、何度も聴いているうちに新鮮さが薄れてしまうこともある。もし、これまで一度も聴いたことがないのに、自分の好みや今の気持ちにぴったりと合う曲を、新しくつくることができたらどうだろう。自分が「癒される」「元気になれる」と感じるお気に入りの曲を数曲選ぶだけで、それらに共通する特徴を捉え、自分のための新しい一曲を生み出してくれる。そんな、一人ひとりの感性に寄り添う自動作曲の研究に取り組んでいるのが、メディア情報学部の大谷紀子教授である。

現在広く使われている生成AIの多くは、深層学習と呼ばれる技術を用い、大量のデータから特徴や規則性を学習する。音楽であれば、膨大な数の楽曲をもとに新しい曲を生成する。一方、大谷教授らが開発する自動作曲システムで必要となるのは、わずか2、3曲ほどだ。例えば、ある人が「元気になれる」と感じる曲を数曲選ぶと、それらの曲から調や速さ、和音進行、メロディの動きやリズムなどの特徴を取り出す。そして、その特徴を反映しながら、その人がまだ聴いたことのない新しい曲をつくり出す。大量のデータや高性能な計算機を必要とせず、一般的なパソコンでも動かせることが特徴だ。「私たちが対象にしているのは特定の個人です。大規模なサーバーや何万曲、何十万曲というデータを用意するのではなく、多くの人が持っているパソコンを使って、その人が好きな2、3曲だけから特徴を取り出し、新しい曲をつくります。」

自身の研究内容を説明する大谷教授。
自身の研究内容を説明する大谷教授。

その作曲を担うのが、大谷教授が専門とする「進化計算」だ。進化計算とは、生物の進化の仕組みをコンピュータ上で模倣し、難題の最適解を探す方法の総称であり、様々な手法が存在する。代表的なものに「遺伝的アルゴリズム」がある。その名の通り、生物が世代を重ねながら進化する過程をコンピューター上で模倣する。まず、問題の答えになりそうな候補をランダムに数多くつくり、それぞれが条件にどの程度適しているかを評価する。評価の高い候補を残し、組み合わせたり一部を変化させたりしながら世代交代を繰り返すことで、よりよい答えへと近づいていく。自動作曲では、最初に音符をランダムに並べた多数の楽曲を用意し、最低限の音楽理論を満たしているか、入力した楽曲の特徴がどれだけ含まれているかなどを評価する。評価の高い曲を残しながら世代交代を重ねることで、その人の感性に合う新しい一曲を探していく。同じ楽曲を入力しても、最初の候補がランダムにつくられるため、生成される曲は毎回異なるという。

遺伝的アルゴリズムの仕組み。
遺伝的アルゴリズムの仕組み。

大谷教授は、遺伝的アルゴリズムの一種である「共生進化」という手法を用いる。問題をいくつかの部分に分け、良い部分そのものを探す集団と、それらの良い組み合わせを探す集団を同時に進化させていく。音楽にも同じ考え方を当てはめ、楽曲を構成する一つの単位を2小節ほどの「モチーフ」として捉え、良いモチーフを探すと同時に、それらをどの順番で組み合わせると良い一曲になるのかも探していく。部分と全体を同時に進化させるこの仕組みを、大谷教授はスポーツチームに例える。「野球やサッカーで勝つには、一人ひとりの選手が優秀であることが必要です。でも、優秀な選手だけを集めれば必ず勝てるわけではありません。組み合わせも大事ですよね。」

研究を始めた当初、大谷教授は音楽理論を厳密に守らなければ良い曲はつくれないと考えていたという。専門書を読み、音楽を専門とする共同研究者にも話を聞いた。しかし、工学の世界では定義や規則が明確であるのに対し、音楽には「基本的にはこうだが、そうでない場合もある」という例外が数多く存在する。理論から外れていても、人の心を動かす曲はある。そこで発想を転換し、システムに組み込む音楽理論は必要最低限にとどめ、その先は入力された曲が持つ特徴を重視するようになった。「最初は音楽理論をきちんと守らなければいけないと思っていました。でも、守っていなくても素敵な曲はたくさんある。それなら最低限だけ守って、あとはその人が好きな曲の特徴を手がかりにすればいい、と考えるようになりました。」
この仕組みは、一曲の音楽だけでなく企業の「サウンドロゴ」にも応用された。依頼元の企業に勤める社員に、自由にメロディーをつけて社名を歌ってもらい、その音声を楽譜へ書き起こす。それぞれの歌い方から調や速さ、譜割り、メロディなどの特徴を抽出し、進化計算によって新たなメロディをつくる。特定の作曲家が一から考えたものとは異なり、そこで働く人々がそれぞれに持つ企業のイメージや、歌い方の特徴が反映された、唯一無二のサウンドロゴが出来上がる。

企業サウンドロゴの作成手順。
企業サウンドロゴの作成手順。

さらに近年は、作曲を日常生活の行動と結びつける研究にも取り組んでいる。きっかけは、大谷教授自身が好きだというコーヒーだった。ハンドドリップでは、お湯を注いだ後に一定時間待つなど、おいしく淹れるための手順がある。しかし、時間を測りながら一つひとつの工程を守るのは意外と難しい。そこで、曲の進行に合わせて作業すれば、時計を見なくても自然に適切なタイミングでコーヒーを淹れられる音楽をつくった。同じ発想は、歯磨きやカップスープづくり、インターバル速歩を支援する音楽にも広がっている。音楽を聴くこと自体を目的とするのではなく、普段の何気ない行動を、楽しく、やりやすくするための道具として利用するのだ。
進化計算の応用先は音楽に限らない。例えば、複数の家庭へ荷物を配送する時、走行距離が最も短くなる経路ではなく、二酸化炭素排出量が最も少なくなる配送順を探す研究にも取り組んできた。車両は荷物を降ろすたびに軽くなり、燃料消費量も減る。重い荷物を先に届けるべきか、それとも距離を優先するべきか。複雑に絡み合う条件の中から、進化計算によってよりよい答えを探していく。また、人口減少が進む地方都市を対象に、自治体の将来的な支出を抑える施策を探す研究も行った。一見すると関係のない課題に、同じ「よりよい答えを探す」という技術が使われている。

こうした幅広い研究の原点には、大谷教授が学生時代から関心を持ってきた「アナロジー」がある。未知の仕組みを、すでに知っているものへ置き換えることで、突然理解できる瞬間がある。大学では、こうした“例え”が人間の学習にどのような影響を与えるのかを研究した。大学院修了後には企業で情報検索の研究にも携わったが、大学へ戻った際に恩師から、生物の進化をコンピューター上で再現して答えを探す進化計算は「究極のアナロジー」ではないかと勧められた。人間が自然界から見つけた仕組みをコンピューターへ移し、その仕組みを今度は音楽や物流、都市の課題に応用する。

生成AIが急速に普及し、誰もが人工知能を使える社会になった今、大切なのは使う人間側の知識と判断力だと大谷教授は考える。研究室でも大切にしているのは、「まず自分の手を動かし、やってみる」という姿勢だ。不便なことがあれば、使えるサービスを探すだけでなく、自分たちでつくる。AIとの対話だけで分かったつもりになるのではなく、実際につくり、動かし、失敗してみる。その過程で初めて見えてくる問いがある。研究室では、予定の確認や論文添削の依頼、図書管理などに学生自身が開発したプログラムが使われている。毎年行われる夏の合宿では、チームごとにシステムを開発し、最も使いやすいものを実際の研究室運営に採用する。研究のためにプログラムを書くのではなく、自分たちの身近にある不便を見つけ、それを解決するために技術を使う。その経験は、そのまま学生たちの実践的な学びにもなっているという。「生成AIを使うことそのものを否定しているのではありません。使うのであれば、正しい使い方をきちんと考えた上で使わないと、意味がないと思います。」

「研究はもちろんですが、ご飯食べる時は帽子脱ぎなさいね、とか、生活の面でも学生に細かく指導してしまうタイプなんです。研究室にはそこを納得してもらった学生しかいませんね。」と笑う大谷教授。現役の学生のみならず卒業生からも様々な相談を受けることも多いという。
「研究はもちろんですが、ご飯食べる時は帽子脱ぎなさいね、とか、生活の面でも学生に細かく指導してしまうタイプなんです。研究室にはそこを納得してもらった学生しかいませんね。」と笑う大谷教授。現役の学生のみならず卒業生からも様々な相談を受けることも多いという。

大谷教授が目指すのは、一人ひとりの感性に寄り添う新しい曲を生み出したり、人間では考えもしなかった選択肢を一つ増やしたりする人工知能である。最適な答えは、最初からどこかに用意されているわけではない。さまざまな可能性を試し、組み合わせ、時には突然変異を起こしながら探していく。その過程は、私たちが日々の中で新しい楽しみや気づきを見つけていく姿にも重なる。生物が進化してきたように、私たちの暮らしを豊かにする答えもまた、無数の可能性の中に眠っている。

大谷 紀子OTANI Noriko
大谷 紀子のプロフィール画像

メディア情報学部情報システム学科、大学院環境情報学研究科環境情報学専攻教授。1995年、東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了、修士(工学)。2006年、東京大学より博士(情報理工学)取得。キヤノン株式会社、東京理科大学理工学部経営工学科助手、武蔵工業大学講師・准教授、東京都市大学准教授を経て、2014年より現職。

APPENDIX追加資料

・researchmap(大谷 紀子)
・東京都市大学メディア情報学部情報システム学科大谷研究室

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