建築に息づく熱の環境と、人の営みを科学する
エアコンの温度を夏は28度、冬は20度に設定している人も多いだろう。しかし、この推奨温度には根拠がないことはご存知だろうか。日本でも快適温度と外気温度の関係の「適応モデル」を示したのは、建築気候や環境適応の国際的な研究を行っている環境学部のリジャル ホム・バハドゥル教授である。彼が追い求める”本当の快適さ”とは何か。
建築の世界は、建物のデザインを行う「計画」、建物の力学的な構造計算を行う「構造」、そして熱・光・空気・音・エネルギーといった建物を取り巻く様々な「環境」の3つの柱で成り立っている。リジャル教授は環境、なかでも熱環境を専門としており、気候風土と建築の関係性をテーマに研究を進めている。「気温、放射温度、湿度、風、そういった要素をうまく使って、快適に過ごすことができる建物はどのようなものか、考えています。」
建築環境の研究は多岐にわたる。私たちが過ごす建物の中の環境を指す室内環境。地球や都市から、ベランダやバルコニーまで様々なレベルを扱う半戸外・屋外環境。できるだけエネルギーを使わずに健康を害さず、快適に過ごすことができる温度や湿度を考える熱的快適性。気温によって着衣の調節や、窓の開け閉めなど私たちが起こす行動。リジャル教授はいずれの研究においても、実際のフィールドで調査を行うことを重要視する。「最近は全国の大学の先生方と一緒に共同研究を行なっています。全国各地のオフィスで、温熱環境によってどういった行動が取られているか調べています。実際のフィールドで大規模にデータを集めて、快適に過ごすためにはどうすればよいのか、どのようなガイドラインや基準を作ればよいのか、研究を進めています。」
特に光熱費を自らが負担しなければならない住環境においては、地域差や季節差は顕著にあり、快適温度は外気温度に関係しているという。「夏は薄着、冬は着込めばいいですからね。温度設定の差は大きい。また人によっては暑がり、寒がりがありますから、年齢や性別、出身地なども記録します。」
2015年、故郷のネパールで大地震が起きた。被害を受けた建物の代わりに建てられた、かまぼこ状のトタンの住宅。研究室に在籍していた博士課程の学生が調べると、夏は非常に暑く冬は非常に寒い、劣悪な環境だった。ネパールでは90年前にも大地震が発生したが、記録が残っていなかった。「調査して論文として残すことで、次に大きな地震が起きても備えられる。このような記録も一つの研究だと思います。」

リジャル教授の研究、勉強への熱意は幼少期の原体験にある。「勉強ができると褒められました。ネパールではお祝い事の時、おでこに赤い粉をつけますが、勉強でトップ3になって粉をつけてもらったときは嬉しく、強く記憶に残っています。もっと勉強してみよう、と思えました。」
小学校まで獣道を片道2時間かけて通学した。世界にどのような職業があるかもよくわからないまま、漠然とエンジニアを目指し、首都カトマンズに移り勉強を続けた。その頃知り合った知人に「建築家はネクタイを締めて、オフィスで働けるよ」と勧められる。そうして働く自分の姿を想像すると、とても魅力的に思えた。努力の末、ネパールの3年制のカレッジに進学し建築を学ぶ。当時、政府開発援助で病院や空港など様々な建築プロジェクトが進行しており、建設現場を見学する機会にも恵まれた。さらに専門的な勉強がしたいと思い、日本の知人の勧めで来日。大学、そして大学院にも進んだ。なおその知人は、今は妻として、リジャル教授と家庭を築いている。
しかし、大学院の研究テーマはなかなか思うように決まらなかった。日本の学部で学びを続ける中、京都議定書が採択され、温暖化・エネルギー問題に対する注目が高まっていた。「環境に興味を持ち出したのはその辺りです。でも、指導教員にこういうテーマで研究したいです、と言ってもすぐにダメ、ダメと繰り返し言われていました。」
修士課程で研究テーマに悩んでいると、イギリス人の留学生に自分が生まれ育った村を紹介する機会があった。写真を見せると「こんなところは見たことがない!実際の暮らしを見てみたい。」と感激され、これが転機となった。「ネパールの気候風土と伝統的な建築の温熱環境や快適性を研究テーマにしたいと指導教員に相談すると、今度はOKが出ました。既往研究もほとんどなかったため、ネパールで地域ごとの伝統的な建築の温熱環境や人々の熱的快適性を調べてみたのです。」

北海道の2倍に満たない面積のネパールは、海抜によって気候が全く違う。8000m級のヒマラヤ山脈の裏側にある、ほとんど雨が降らない地域では、家屋も日干し煉瓦で出来た平らな屋根になる。温帯気候の地域だと、半屋外空間を持つようになり、真夏の夜間など室内が暑い時はそこで過ごす。研究室にはネパールの留学生もおり、現在も研究、調査を続けている。

リジャル教授は米国スタンフォード大学とエルゼビア社による「世界のトップ2%の科学者」を特定する包括的なリストにランクインしている。また、2024年には日本建築学会賞(論文)も受賞した。「今の研究も苦労は多いですが、論文という形で社会に出て、それが多くの人に引用され評価されると、とても嬉しいのです。」
自身の思いから、研究室では学部3年生から学会発表を行うことを推奨し、指導している。「発表を終えた学生は全く違う表情になります。就職や進学など、その学生のキャリアにも大きく影響を与えることができていると思います。」
東京をはじめとする現代の都市は、年間を通じ空調に依存する傾向があり、エネルギー使用も多い。また、換気が不足することによりCO2濃度が上昇し、作業効率も落ちてしまう。「まずは外の環境のポテンシャルをもっと使ってみましょう。夏であれば、まず窓を開ける。それでも暑ければ扇風機をつける。それでも暑ければ、冷房に頼る。意外と中間期は、窓を開けるだけでもだいぶ快適に過ごせるようになります。」
人々がより快適に過ごすためには、気候風土に合った都市計画も重要だとリジャル教授は考える。「公園や街路樹をもっと効果的に配置するとか、人が気軽に屋外で過ごせるような広場を作って、外の環境に適応させるのも、快適に過ごすための一つの手段ですね。」
私たちはもっと外の環境を活かすことができる。窓を開け、風を感じ、時には公園で過ごす。都市部で快適に過ごすためには、意外とシンプルな行動が大切なのかもしれない。リジャル教授が見つめ続けるのは、自然と建築と人が奏でる、気候風土に適応した心地よい暮らしの風景だ。

環境学部 環境創生学科教授。環境情報学研究科研究科長。1992年、トリブバン大学工学部建築学科(ネパール) 卒業。1998年、芝浦工業大学工学部建築工学科卒業。2000年、京都大学工学研究科環境地球工学専攻修士課程修了。2004年、京都大学工学研究科環境地球工学専攻博士課程修了。