見えない無線通信を見つめ、人の未来を支え続ける
移動中にこの記事をスマートフォンで閲覧している人もいるかもしれない。手のひらサイズの端末を通じて、私たちはさまざまな情報をやりとりしている。携帯電話やスマートフォンは現代生活に欠かせない存在であり、それらの通信がスムーズに行えるのは、研究開発の賜物だ。快適な無線通信を実現するため、基盤技術の研究を続けているのが理工学部の佐和橋 衛教授である。
佐和橋教授の研究テーマは、移動通信、携帯電話の無線伝送技術や無線アクセス技術。中でも、周波数の利用効率上昇や高速化の仕組みといった、無線方式を専門とする。一見難解に思えるが、これは日常的に使う携帯電話やスマートフォンが、あらゆるサービスをスムーズに動作させるために、通信の「パイプ」を拡げ、整備する技術といえる。「近年は学会でもサービス、アプリケーションの研究が重視される傾向がありますが、全ては“どんなものでも通せるパイプ”があってこそ。パイプを太く、頑丈にしていくための地道な技術開発は今後もずっと必要です。」

現在は主に通信規格「5G」に関する研究を民間企業と共同で行う。無線通信のメリットとして、ユーザーが移動しても通信が行えることが挙げられるが、移動すると受信する信号に変動が生じ、通信の「誤り」が発生してしまうデメリットも存在する。サーバーが並ぶ研究室では、信号の周波数や送信方法を変えるなどさまざまな実験を行い、通信の誤りが発生する原因を解明している。佐和橋教授は2024年、米国スタンフォード大学とエルゼビア社による「世界のトップ2%の科学者」を特定する包括的なリストにランクインした。通信の開発現場はまさに日進月歩。「冷蔵庫ほどのサイズだった端末が、数年後には手のひらに収まるようになる。どんどん技術が進むので、アイディアが重要。とにかく論文を読むとか、勉強をしないとだめですね。学会での発表も新規性が一層求められています。」

現在、通信の課題となっているのは「周波数」である。低周波帯は増加するトラフィック(ネットワークや通信回線上で一定の時間内に送受信される、データ量や流れ)で既に空きがほとんどない。今後も増加を続けるトラフィックに対応するためには、より高い周波数帯の利用が必要となっている。しかし、高周波数になるほど電波の飛距離が短くなるといった課題もあり、これらを解決するための技術開発が急がれている。
また高周波帯での通信における課題として「位相雑音」がある。この「雑音」という言葉からイメージされるであろう「聞きとりにくい、繋がりにくい」という程度ではなく、この課題を克服できなければ「通信サービスとして使い物にならない」状態に陥る。発生する通信の誤差を保証するには、端末に実装されるソフトウェア上の信号処理技術を、さらに精度が高いものにする必要がある。
またサブテラヘルツ帯と呼ばれるより高い周波数、いわゆる「6G」の分野においても研究が進んでいる。遠隔医療や自動運転などの産業分野で利用可能になるよう、より高信頼・低遅延の通信を実現すべく、完全な保証技術の開発に取り組んでいる。「ゲームがスムーズに動く、というのも良いですが、医療、建築、農業など、様々な産業分野に貢献していくことが本来の通信の意義であり、実現できたら素晴らしいと思っています。20〜30年後、6G、そして7Gの世界に入れば、自動運転は当たり前になりますし、ビデオ通話では本当に人が目の前にいるようなレベルになる。場所という概念がなくなるでしょう。」

佐和橋教授は前職で「3G」や「4G」の無線方式の決定や標準化に携わった。新入社員のころ、肩に担ぐことで自動車から持ち出すことができる、ショルダ型自動車電話の開発を目の当たりにした。当時、無線の分野は大きく分けて固定マイクロ、衛星、そして移動の3種類があったが、移動は最もマイナーな分野であった。もともと通信に興味があったわけでも、大学で学んでいたわけでもないため、専門用語もわからず、入社してから猛勉強をする日々を送った。そんな中、ふと一本のテレビコマーシャルが目に留まり、通信の本来の目的を考えるきっかけとなった。「親の死に目に会えないけれど携帯電話で声を聞くことができる、という内容のテレビコマーシャルで、今思えばあれが原点。人と人をつなぐことが、通信の一番いいところです。」

通信は、日本だけでなく世界共通に研究されるテーマである。この分野を「東京」という都市で研究する利点はあるのだろうか。「世界的に見ても東京は人口密度が高く、トラフィックも多い。移動する人も多い。渋谷など人が集まるところで電波が繋がりにくい経験をされたこともあるかもしれません。この研究分野においては非常にチャレンジングな場所です。」
人類が携帯電話、そしてスマートフォンを手にしてから、通信技術の進化は加速度的に続いている。その開発はどこまで続くのか。「通信の速度が人間の脳が持つ情報処理速度に達するまで続く、と聞いたことがありますが、私もその通りになると思っています。それだけ人間は情報を欲しているのです。」
研究室の学生に対し、佐和橋教授が繰り返し伝える情報に対する姿勢がある。「これからの時代は多くの情報から必要な情報をいかにして取り出すか、情報の取捨選択がよりいっそう重要になります。しっかりと自分の頭で考えて、大切な情報はなにか向き合って欲しいです。」
三十数年前、肩に担ぐほど大きかった携帯電話。その頃、手のひらに収まるスマートフォンが登場する未来を誰も想像できなかったであろう。今では瞬時にどこへでもつながり、まるで魔法のように世界を手のひらで感じ取ることが可能になっている。近い将来、現在を生きる私たちには想像もつかない世界が広がっているに違いない。しかしどれほど技術が進化しても、「人をつなぐ」という通信の本質は変わらない。佐和橋教授の視線は、見えない電波の先、日常の先に広がる、もっと遠くてもっと輝かしい通信の未来を見据えている。

理工学部電気電子通信工学科教授。1983年、東京大学工学部工業化学科卒業。1985年、東京大学工学系研究科分析化学修士修了。1998年、奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科情報コミュニケーション博士修了。