2026年1月にイタリア・ニシェーミを襲った地すべりによる被害(Gianfrancodp / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)
土砂災害をあらゆる視点で捉え、人々を危険から守る
山が崩れる。それだけなら、地球上で起きる自然現象の一つにすぎない。人のいない山奥で斜面が動いても、そこに暮らす人や道路、建物がなければ「災害」にはならない。自然現象が災害へと変わるのは、その場所に人間の生活が重なった時だ。どこで、なぜ山が崩れるのかを解き明かす自然科学の視点と、なぜそこに人が住み、どのような暮らしを営んできたのかを捉える人文科学の視点。その両方を結びつけ、人々の命を守る研究に取り組んでいるのが、環境学部の佐藤剛教授だ。今回の取材では、佐藤教授をはじめ、研究室に在籍する学生にも話を伺った。
佐藤教授が主な研究対象とするのは、地すべりや斜面崩壊によって引き起こされる土砂災害である。斜面の形状や地質、降雨といった自然条件を調べるだけでなく、周辺の人口や土地利用、道路などの社会的条件を重ね合わせることで、自然現象がどのような被害をもたらすのかを明らかにする。高度経済成長期以降、都市の拡大によって、それまで住宅が少なかった斜面や谷の出口にも市街地が広がった。自然の成り立ちと人間社会の変化を同時に捉えることが、防災を考える出発点となる。「地震や津波、山崩れそのものが災害なのではありません。そこに人が住み、道路や建物があることで初めて災害になる。ですから、自然現象だけでなく、人がいつから、なぜその場所に住むようになったのかも調べる必要があります。」

研究の成果を社会へ届ける重要な手段が、ハザードマップである。人工衛星が撮影した画像を判読することで、過去に斜面崩壊が起きた場所を抽出する。さらに、傾斜、標高、谷の入り方、地質、植生、土地利用などとの関係を分析し、どの場所で崩壊が起こりやすいのかを地図として可視化する。危険性を地図上に示すことで、行政の対策や住民の避難判断に結びつけることができる。「どこの山が崩れやすいのかを示し、そこに誰が住んでいるのかを重ねる。ここで崩れたら、この人たちが被害を受けると分かれば、あらかじめ備えることができます。」

現在、佐藤教授の研究室が力を入れている地域の一つがベトナムである。近年の気象現象の極端化により、これまで大型台風や豪雨の影響が比較的小さかった地域にも強い雨が降るようになった。一方、急速な経済発展によって道路や市街地の整備が進むなか、斜面対策が十分でない場所も多い。豪雨による山崩れは、山間部で暮らす人々の命を脅かすだけではない。道路や将来の高速道路が寸断されれば、物流や地域経済にも大きな影響を及ぼす。日本では砂防ダムや斜面工事など、普段は目に入りにくい対策が被害を抑えているが、同じ水準の対策を直ちに整えられる国ばかりではない。だからこそ、まず何がどこで起きているのかを正確に把握することが重要になる。2020年にベトナム中部を襲った複数の台風や、2024年に北部へ上陸した台風による斜面崩壊について、研究室では衛星画像を一枚ずつ確認し、崩壊箇所の分布図を作成している。環境情報学専攻博士前期課程2年生の山口朱莉さんは、約1万2千か所に及ぶ崩壊地点を自身の目で判別し、地図上に記録した。森林伐採地と崩壊地は衛星画像上で似て見えることもあるが、植生の境界や土砂の流れ方などを丹念に読み分ける。こうして作られた一次データを基に、崩壊と地質・地形条件との関係を定量的に検証する。例えば、花崗岩は硬い岩石でありながら、風化すると「真砂(まさ)」と呼ばれる砂状のものとなる。硬い岩盤と真砂の境界に雨水がたまると、ウォータースライダーのように真砂が滑りやすくなる。ベトナムでも、花崗岩が分布する地域に斜面崩壊が集中する傾向が確認されているという。

研究室では、アイトラッキングを用いた地形判読技術の継承に関する研究も進める。地形判読とは、地形表現図や空中写真に表れた凹凸や形状から、その土地がどのように形成され、将来にわたりどのようなリスクがあるかを読み解く技術だ。高度な判読能力を持つ専門家の高齢化が進み、知識や経験の継承が課題となっている。環境情報学専攻博士前期課程1年生の松下紗弥歌さんは、複数の熟練判読者から得た視線データを機械学習に用い、専門家でない人が地形を見る際に、着目すべき場所を提示する「地形判読支援システム」の開発を進めている。メガネ型の装置を専門家に装着してもらい、どこを、どの順番で、どれほど長く見たのかを記録している。発話も同時に収録することで、視線の動きと思考の過程を結びつける。熟練者は、重要な場所へ無駄なく視線を移すのに対し、経験の浅い人は手掛かりを探して周辺を広く見る傾向があるという。熟練者の技術に含まれる暗黙知を可視化し、次の世代へ受け渡すことは、防災の基盤そのものを守る研究でもある。研究室ではさらに、災害伝承施設の展示を専門家と学生がどのように見るのかを比較し、防災教育や展示設計の改善へつなげる研究も行われている。自然地理だけでなく、人の行動や学び方までを対象とする点にも、文理融合を掲げる研究室の特徴が表れている。

佐藤教授にとって、防災研究の価値を実感した経験の一つに、中米ホンジュラスでの国際協力がある。JICA(独立行政法人国際協力機構)の技術協力に携わり、大規模な地すべりが発生する地域で現地の防災機関とハザードマップを作成し、危険な場所を地図で示すことで住民に避難を促す仕組みを整えた。その後、佐藤教授が危険性を指摘していた場所で実際に斜面が崩れ、多数の住宅が失われた。しかし、住民は事前に避難し、犠牲者を出さずに済んだという。「予算などの問題で対策工事ができなくても、ここが危ないと地図で伝えることで守れる命があります。日本の国際協力にとっても、成果の一つだと思います。」
ベトナムとの共同研究も、短期間で生まれたものではない。現地の大学などと交流を長年積み重ね、信頼関係を築いてきた。その基盤の上で、今後も複数年にわたり国際的な研究プロジェクトを通じ、土砂災害の軽減に取り組む。現地の研究者とともにデータを集め、危険度を評価し、将来の対策に生かす。研究室にはベトナムからの国費留学生も在籍し、日本で学んだ知識を自国の防災へ還元しようとしている。山口さんも、自然災害という観点から国際協力に関われることに魅力を感じ、研究を続けてきた。国際プロジェクトに参加し、開発途上国の人々の命を災害から守りたいという思いから、博士後期課程への進学を決めている。

佐藤教授は、国内の防災においても、施設整備だけでなく人々が災害の仕組みを理解することが欠かせないと考えている。気候変動によって過去の想定を超える雨が降り、これまで災害が起きていなかった場所でも斜面崩壊が発生する可能性がある。対策を講じられる災害には国や自治体が十分な備えを進めつつ、住民自身も、なぜ地すべりが起きるのか、自分の住む地域にはどのような危険があるのかを学ぶ必要がある。「ハザードマップを渡されただけでは、なかなか見てもらえません。でも、それがどう作られたのかを知れば、見方が変わります。例えば学生が家族に説明すれば、親や祖父母も耳を傾けるでしょう。」

佐藤研究室では、一次データを自分の手で得ることを大切にしている。衛星画像を読み、現地へ赴き、ドローンを飛ばし、専門家の視線を測る。既存のデータを分析するだけでなく、研究の土台そのものを自ら作るからこそ、目の前の現象に新しい問いを立てることができる。学生同士が研究手法を引き継ぐメンター制度もあり、先輩が後輩の進捗を見ながら助言する。佐藤教授は一人ひとりの関心や得意分野を見極め、自然地理、人文地理、AI、教育など、多様な方向へ研究を導いている。学生自身が新しい分析手法を取り入れ、教員の理解を超えるところまで研究を発展させることもあるという。「一人の教員だけでは、これだけの仕事はできません。学生が研究に加わり、それぞれの得意分野を生かすことで、できることが大きく広がるのです。」
山が崩れる場所を見つける。人がその土地に暮らす理由を知る。専門家の目の動きを次世代へ伝え、危険を示した地図を避難行動へつなげる。佐藤教授の研究は、自然と人間を切り離さず、その間に生まれるリスクを科学的に捉える試みである。地図に記された一つひとつの点の先には、そこで暮らす人の生活がある。佐藤研究室の学生たちは今日も衛星画像や地形図に向き合い、自ら作ったデータから地域の特徴を読み解いている。その積み重ねが、まだ見えていない危険を可視化し、世界のどこかで守られる命へとつながっていく。
環境学部環境経営システム学科、大学院環境情報学研究科環境情報学専攻教授。2007年、千葉大学大学院自然科学研究科修了、博士(理学)取得。帝京平成大学人文社会学部教授を経て、2023年より現職。